週刊特報 2004.8.9
綾瀬女子高生コンクリ詰め殺人犯 鬼畜元少年の正体

「こんな極悪非道な凶悪犯罪者が、5年や10年で更正するのか」

日本中を震撼させた、『綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件』(以下コンクリート殺人)が世間に報道されたのは、昭和天皇の崩御と、時を同じくした89年1月。あまりの非道な手口、鬼畜としか表現できない凶暴性…、当時検察側は無期懲役を求刑するなど、厳しい態度で裁判に臨んだが、主犯の少年以外、2年後に下された判決は、懲役5年以上10年以下という不定期刑で、遥かに軽いものだった。

果たして数年の刑期で許されるのだろうか…、多くの人がそんな疑問を頭によぎらせたはずだ。それでも人々は少年たちの更正を信じた。事実、2番目に罪が重いとされた主犯格の“少年B”を公判で担当した、弁護士の伊藤芳朗氏は
「接見を繰り返すうちに、少年Bは被害者の名前を聞いただけで、涙ぐむようになりました。自分の親子関係に対する不満がたまった挙げ句に、心が荒れ、こういう事件を起こしてしまったという、非行のメカニズムを彼自身が理解したからです」と語っていた。

神作譲、33歳。一連のコンクリート殺人の報道において、“少年B”として扱われた人物である。5年前に出所したこの神作なる人物、新聞や雑誌などによる報道で目にされた方も多いだろうが、今年の5月、再び監禁暴行事件を起こすことになったのである。愚かにも、かつてのコンクリート殺人と同じ土地で…。この男の神経は、いったいどうなっているのか? 小誌は、神作と刑期を共にしたある人物と接触、「涙ながらに反省した」という弁護士の言葉とは裏腹に、反省の色などまるでない、神作の刑務所での生活ぶりを赤裸々に語ってもらった。

今回の事件のあらましを簡単に説明しておこう。
被害者の男性が足立区の自宅へ帰ると、神作が待ち構えていた。被害者と神作は知人のツテで知り合うが、家に押しかけてきては、女の話で絡むようになってきた。そして5月19日の深夜、男性を金属バットで脅迫し、車のトランクに押し込み、約40分車を走らせた後、親の経営する、埼玉県三郷市内のスナックで約4時間監禁した。

「オレの女を知っているだろう、お前が取っただろう」
などと脅迫し、殴る蹴るの暴行を加えた後、被害者を解放。竹の塚署に被害届けを提出し、神作はすぐに逮捕された。しかし、警察の調べに対しては、「ちょっと、やりすぎた」と軽々しく語った。今回の事件では、「反省している様子なんてなかったです」との意見もある。

神作の無反省ぶりは、今回の事件が起こる以前から明らかだった。弁護士が「涙ながらに反省している」と伝えた神作の様子を、ともに刑務所内で過ごした男性、山田義樹氏(仮名・32歳)は語り始めた。

「刑務所の中でも、来る前から噂が広まっていました。『川越』から有名人が来ると言われていて、彼が新入者への職業訓練で姿を見せた時、“コンクリートが来たぞ!”と言われたほど」

山田氏は神作と同世代である。当時、愛知県在住の暴力団構成員(現在は一般人)で10代の頃、ある事件により3年の実刑判決を受けた。神作と出会ったのは、奈良少年刑務所だという。主に26歳未満の、初犯者を対象としている同刑務所で、神作は川越少年刑務所から、移送されてきたのだという。

同刑務所では受刑者同士、ニックネームで相手のことを呼ぶことがあり、神作は、事件名そのままに“コンクリート”と呼ばれていた。同刑務所では、基本的に独居と呼ばれる1人部屋に入るが、部屋を出て集団活動を行なう際、他の受刑者と接触できる。山田氏が神作を初めて見たのは、集団入浴の時である。

「彼は体も大きかったんで、余計に目立っていました。色白で細い目をしていたんですが、何というか表情が暗い感じだったのを覚えています。なかなか話す機会はなかったのですが、彼が入所して3ヵ月ほど経ってから、同じ革靴工場に配属されたので、昼食後や運動の時間などに会話するようになったのです。

最初は自分が、“どれだけ刑を受けたのか?”と聞くと、“5〜10年の不定期刑だ”と答えたのがきっかけですね。あまり自分から話をせず、周りが笑っているときでも笑わないような男なので、その分、冷酷な顔に見えました。たまに笑顔を見せても、目だけは笑っていないような、気味の悪い印象を受けました。誰とでも話すようなこともなく、常に決まった人間としか話をしませんでしたね」

刑務所内では、会話を許される時間もあるのだが、自分が起こした事件について話すことは禁じられている。それでも神作に関しては、事件があまりにも有名だったためか、それを聞こうとする者が後を絶たなかったようだ。

「事件のことを聞いても、“それは話せません”って断られましたね。でも、それは反省しているからでも、思い出したくないからでもなく、ただ懲罰になって、刑期が延びるのを気にしていたからだと思います。事件のことではなくても、禁止されている話題が出ると避けていましたから…。彼は不定期刑だったので、特に刑期のことばかり気にしていました」

考えるのは1日も早く刑務所を出ることだけ、おそらく神作の頭の中には、それしかなかったのだろう。だが、時が経つにつれて、そんな緊張感も薄れたのか、事件について口を開くようになった。

「確か、あれは運動で一緒に卓球をやっていた時でした。自分から、“コンクリートに埋めた時に手が飛び出てなければ、あれバレなかったんだよなぁ”って言ったんです。そのうちに、“他にも数えきれないくらいの輪姦をやったけどバレなかった”とか、“事件は記事になってないことの方が多い”なんて平然と話していました。刑務所にはいろんなワルがいますけど、やっぱりコイツは極悪非道なんだと肌で感じました。“俺は暴力団関係の本部長をやっていた”なんて自慢していましたし、反省なんてとんでもないです」

山田氏によると、更正を目的とした場所においてさえ、弁護士が“反省していた態度”というものは、全く見られなかったという。

そして神作は、刑務所内の親しい人間で派閥を作り、数え切れない武勇伝を持つ猛者の集団において、『ボス』として君臨するようになったという。

「五目並べをする時間が、奈良少年刑務所にあるのですが、そこでコッソリ賭け事をするんです。飯のおかずとか果物を賭けるような、お遊び程度のものなんですが、そこで取ったものを、自分の子分に分けたりするなど、神作の集団は仲間意識が強い感じでした。自分より刑期が短い人間は妬んでいるのか、冷たく見下すような態度を取って、自分と同じように不定期だったり、長期間の受刑者とだけ親しくする傾向がありましたね。

そのうちに自分の子分が、他の受刑者から嫌な思いをさせられると、すぐに仕返しをしたりするようになったんです。同じ部署に全部で50人くらいいましたけど、3つのグループに分かれていて、彼は派閥同士のケンカをよく起こしていました。刑務所の生活に慣れると、見えない所で喧嘩することも可能でしたし、看守が見て見ぬフリをしたり、ちょっとしたケンカなら面倒なのか、黙認して事件にはならないんです。その分、陰に隠れて激しく争うようになってしまったんです」

喧嘩を日常茶飯事とする、刑務所内での神作の姿を見た山田氏はこう結論づけている。

「本当は会って直接、ムショに戻るようなことはやめようと呼びかけたいんですけど、まず更正なんてしないでしょう。彼は刑務所内で、他の受刑者から犯行の話を聞いたりしていたし、余計に悪事を覚えたんじゃないかと思うくらいです。それに、刑務所生活を実際に味わってみれば、こんなものかと、慣れっこになってしまって…、刑務所に対する恐怖心もなくなりますから、また同じ事をやってしまうんです」

仮出所を果した後、保護観察関係者の女性と、養子縁組を結んでまで現在の名字に変え、人生の再出発を試みた神作だが、山田氏の言葉通り、再び罪を重ねてしまった。しかも、罪もない人を拉致監禁し、暴行するというコンクリート殺人と同類の犯罪である。

実は出所後の足取りも、反省とはほど遠いものであった。今回の再犯事件の警察関係者はこう語る。

「出所後は関東地方の某県にいたが、2年ほど前に地元に戻ってきていた。あれだけの事件を犯した土地に戻るということは、通常なら保護観察の方で制止するんだが、そこには強制力がなく、結局は本人の強い意向で地元に戻ってしまった」

報道により、今回の事件は神作の住所が、埼玉県八潮市であることが明らかになったが、ここはコンクリート殺人の、被害者女子高生が住んでいた土地でもある。また事件を起こしたのも前回と同じ足立区。並みの神経なら考えられないことである。

この八潮市や足立区界隈では、同世代の若者たちの間で、神作のことが大きな話題となっている。その1人である神作と同年齢の男性が明かす。

「奴が戻ってきたとは聞いていたし、電話をもらったとか実際に顔を合わせたという話も聞いた。でも、みんな奴とは接したがらない。あれだけの大事件を犯したから、少しでも親しくしたら、昔の事件とも関わっていたんじゃないかっていう目で見られてしまう。そういうのは奴も察しているんだろうけど、本音はコンクリート殺人で逮捕されたことを、いまだに“誰かがチクったんじゃないか”って疑っているらしく、チクった奴を探している、と聞いたこともある。あの時一緒に逮捕された元の仲間についても、探す素振りを見せていたらしい」

神作を知る者たちが、戦々恐々とするのも無理はない。日本では少年犯罪者の再犯率は約30%と言われている。それを受けてアメリカではミーガン法という、犯罪の前歴を地域住民に公開する法律が制定されている。しかし日本では犯罪者の人権を尊重するあまり、こうした制度については遅れをとっている。

実際、彼を目撃したという人物からは、彼が暴力団風の人間たちと一緒に行動していたことも伝えられている。

「八潮市のキャバクラに、頻繁に出入りしているところを何度か見かけました。高級車で乗りつけて、かなり羽振りが良さそうな感じでしたね。髪を金髪に染め、普通の会社員には見えない風貌でした」(八潮市に住む飲食店経営者)

本来、遺族への慰謝料の支払いをすべく、地道に働いていなければならない立場の神作だが、その生活ぶりもまた本来あるべき姿とは違ったものだったようだ。犯罪事件に詳しい筋からは
「神作が名字を変えたのは、遺族への慰謝料(推定4人で2〜3億円)の支払いから逃れるためではないか」という指摘もある。

今回の再犯で検察側が神作にどの程度を求刑し、そしてどんな裁定が下されるかは分からない。だが、『例え実刑でも、前回より長く入ることはまずない』とする専門家の声が大半だ。

「俺は弁護士や検事の扱い方に慣れている」

神作は戻った地元でこう豪語していた。弁護士の前では涙を見せていても、ドス黒い腹の底では不敵に笑い、無反省としか思えない刑務所生活を送った神作。今回も“顔で泣いて心で笑う”つもりなのか。

綾瀬女子高生
コンクリート詰め殺人事件

88年11月25日の20時過ぎ、埼玉県三郷市に住む17歳の女子高生がアルバイト先の工場から帰宅後、2名の少年に拉致され、足立区綾瀬にある少年グループの自宅に連れ込まれた。この日から41日間にも及び、複数の少年たちによる暴行、輪姦が連日連夜続けられた。殴る蹴るは言うに及ばず、ライターオイルを足にかけて火をつけるなど、筆舌に尽くしがたい拷問は壮絶を極めた。そして89年1月4日、息を引きとった彼女の遺体処理に困った4人の少年たちは、ドラム缶の中に遺体をコンクリート詰めにし、東京都江東区の埋立地に置き捨てた。それから遺体発見までには、2ヵ月半もの歳月を要した。

週刊特報 2004.7.26

 

女子高生コンクリ殺人 - 2ちゃんねるライブラリー